本編の前に

ドイツで鍛える生活まめ知識

ここまでのいきさつ、

前書き失業ブルースドイツへ引越しの順番に読むとより楽しめます笑

 

 

 私が就職したのは、

ドイツ北部のリューベックというところである。

世界遺産にも指定されている中世の面影のある小さな街。

人口 約21万人。

といっても、規模が想像つかないと思うのでちょっと例を上げると…。

仙台市 100万人、北海道釧路市18万人、東京都目黒区 27万人。

ま。釧路と同じか。

ちなみに東京都は1300万人。 (人口統計、2011年現在)

 

そして、北緯53度。これも想像つかないが。

樺太を通り越し、カムチャッカ半島まで上り、

サハリンをちょい過ぎた辺りである。

ヨーロッパは想像以上に北にあるのだ。

よって。真冬は朝8時でも暗い。真夏は23時で夕方。

そして朝3時にはもう夜明けの空色になる。

 

写真は家から撮った↓12月の昼1時の空。見よ、この太陽の低さを!

冬はマイナス10℃くらいの日で『今日はまあ寒いな』というかんじ。

0度になると『あったかーい!』という世界である

(注: 気温に関してはあくまで私がいた年の話で、その年寒かった)。      

 

私はこんなところの現地企業に雇われた。

画像処理ソフトを開発する中小企業である。

ここでソフトウェアの動作テストをする。

コンピュータ系のバックグラウンドを何も持っていないのだが、

派遣社員として日本で同じ仕事をしていたので縁あって採用となった。

 

そして。私は、都内で3分に1本地下鉄が走る社会から

誰一人として知らない、このサハリンより上の、

交通手段はバスのみという、見知らぬ土地へ行くこととなった。

 周りの日本人は『羨ましい~。ドイツで就職とか超ラッキーじゃん!』

 

という反応だったが、東京にいる欧米人の知り合いは口々に

『えっ。リューベック?!

東京からリューベックって、君、普通と逆行しているよね』

と言われる始末。

まあ。ニューヨークから日本の田舎へ就職するみたいかんじなのかしら?

(2021年追記:コロナになってからは地方移住も一般的になって、
若い人の間でも田舎への移住もありな世の中になりましたが、
当時、まだ周りも30代だったので、
そういう雰囲気はなかった。今は田舎もよいと思います!)

 

当時、あまりの未知数にリューベックに行くことを

『あの世行き』と呼んでいた。
(2021年追記:リューベックの皆様、スミマセン!若かったのです)

そして。覚悟を決め、旅立った。

やはり『あの世』はこの世とは勝手がすべて違ったのである…。

続きはこちら、本編:ドイツで鍛える生活 1巻

中世の街、リューベック。運河の中に中心街があり入るには必ずこのような門がある。この中が唯一の街らしい場所で広さは直径1.5km x 1kmくらい
中世の街、リューベック。運河の中に中心街があり入るには必ずこのような門がある。この中が唯一の街らしい場所で広さは直径1.5km x 1kmくらい