序章2: ドイツへ引越し 

さて。失業から一転、ドタバタ劇を経て(序章1 :失業ブルース

ドイツの現地企業に雇われてしまった。さあ。大変だ。引越しだ。

海を超える引越しってどうすんかいなー。家ってどうすんかいなー。

荷物送るにも自分が海の向こうにいないから送れないよー。

 

ドイツへ引越 #1

**** やっぱりブルース ****

契約によると。一ヶ月後には勤務開始。
しかーし。
会社で用意されている家なんていうのはないので。
家がない…。

遡ること5年前、海外プータロ時代のドイツ。
飲食店で皿洗ったりウェイトレスしたりしていた。
そんな最低賃金な仕事もクビになり。
アフリカから来た子に。
時給1ユーロ(当時130円)でウェイトレスの見習いもあるから!
がんばろうよ。と励まされ。
でも。あなたは19歳。私は30歳なんですけど…。
そして。ウェイトレスの見習いって…なんですか?
と言えなかったあの時代。

それがッ。
35歳にして人生初の社員!
日本人がいないドイツの現地企業!
おーーっ!皿洗い、ウェイトレスからすごい出世!
これはアメリカンドリームかー!(←ジャーマンであるが…)
と思ったが…。
あれ~っ。一ヶ月後に家がなーいッ!というのは。
あの時代となんら変わりがないではないか。
(当時はヤドカリ生活。4年間で12回くらい引越している)

ネットで家を見ずに決めるのはギャンブルすぎる。
決めたとしても。
ベットも布団も冷蔵庫もないから生活できん。
じゃあ。家具付きの家みたいなもんをとりあえず探すか。
ということになるのだが…。
荷物を送るにも受取人(自分)がいないから送れない。
ウーン。と頭をかかえる日々。

で。会社のお世話係のアシスタントはバケーション中。
よって。家どころか。
労働VISAの申請すらしていなく、飛行機の手配も滞ったまま。
あれ~?一ヶ月後、自分はドイツにいるのだろうか。

と言っていても仕方ない。
とりあえず。
極寒ドイツ(マイナス10℃)に備え全身タイツを洗濯↓。

ウフッ。と言って髪を掻き上げるブロンドのゲルマン女子も。
実は冬に脱がせれば中身はこんなはず↑
みんな『ウォーリーを探せ』状態。
と思っているのは私だけか…。

 

 

ドイツへ引越し #2

* * * * あの世 * * * *

 

引越の費用は出してくれるのかなー?
飛行機はどうなってるのかなー。
労働ビザはどうなってるのかなー。
お家がないから探してくれるのかなー。と毎日、

質問を英語で担当の子にメールした効果か。
私のあの世(=ドイツ)での家が決まった。
家具付きのとりあえずの家で、2~4ヶ月住めるらしい。
その後は再び自力で家探し(当然ドイツ語)。あーあ。

私のドイツ語レベルは3歳児以下である。
つまり。
三途の川を渡ってしまったら。
言語能力が3歳児以下に低下するわけで…。
3歳児が一人で家を探し、契約。

住民登録から電話の開通、口座開設、
ケータイの契約、荷物の運送手配、プロバイダと契約、

LANの工事依頼し、ネットを繋げなければならないのだ。
そして、間借りの家を追い出されたあと再び、家探し&引越…。
はあ…。3歳児ですよ。3歳児。

遡ること7年前のベルリン。
当時はドイツ語レベルがさらに下がり、子犬程度。
引越さなければならなかったのだが。
言語能力が全く機能していないため。
言語能力を使わない手段として。
地下鉄で引越し…。
頭まで届くバックパックを担ぎ地下鉄で15往復もした。

そーんなあの世。
そして。そーんなあの世になぜもう一回行くかというと。
私のルールとして、目の前にある道を選択するとき。
楽な方でなく、勇気がいるほう。
ギャンブルなほう。
めずらしい経験が出来るほう。
を選ばなくてはいけない事になっている。

安定した生活は楽である。
しかし、安定はある意味、その世界での完成形であり。
完成したものをそれ以上なものにするには。
完成したものを捨て、崩さないといけない。
土台から構築し直さないとそれ以上のものはできない。
体力が続く限り。
この世では、崩し続けなければならない。

では。君はなにを目指し崩しているのか。
それは、ひとえに。
オモロイ人間になりたーいッ! (←アホ)ってだけのことで。
歳をとったら、面白い人間こそ価値がある。
と思っているからで。
面白い人間になるには幅広い経験をしないとなれないからで。
ま。つまり。
結局、目指すところはお笑いなんですが。
お笑いのために体張っているわけです。

というわけで。
来月から、3歳児としてやり直し。
私に残されたこの世の時間、あと2週間半!
ひぇ~ッ!

 

ドイツへ引越し #3

**** 三途の川辺に到着 ****

あの世(ドイツ)まであと10日。

4年間住んだ日本のアパートを引き払うので。

引越しパーティーをした。
昼から深夜2時まで。一日中オープンハウスのようにし。
いろんな人が出たり入ったり、20人弱くらい来てくれた。
私は喋り続けること14時間。
えらい楽しいパーティーであった。
が…。ドイツに行ったらこんなに自由に言葉を操って

話せることもないのだろう。

話せるという自由を奪われるのか。

子供じゃないから急速な語学の上達は望めないしねえ。

4年住んだ家を引き払い実家へ引越し↑この中で、あの世に持って行けるのは椅子の上のパックパック一つ。右端のギター。そしてダンボール一つか…(会社が出してくれる引越し代は25kgの荷物一箱分のみ。駐在でもないし、大企業でもなく、現地の中小企業だからね)
4年住んだ家を引き払い実家へ引越し↑この中で、あの世に持って行けるのは椅子の上のパックパック一つ。右端のギター。そしてダンボール一つか…(会社が出してくれる引越し代は25kgの荷物一箱分のみ。駐在でもないし、大企業でもなく、現地の中小企業だからね)

27歳から4年間、海外ブータロ生活なんかをしていたので。
今回、27歳から数え15回目の引越し(今35歳ね)。


3カ国、5都市に渡る大移動。
その度に、物を捨て人に譲り手放してきた。
一番大事なものだけを手荷物にし空港へ行ったら。
重量オーバーでカウンターと喧嘩。
泣きながら空港に物を捨ててきたこともあった。

しかーし。
今、振り返ってみると。
あの時、大事だと思っていたもの。
泣きながら捨てたものの中で。
今、必要だと思ったり欲しいと思うものはない。
たぶん。人にとって。
手放せない物なんてないのである。

なーんていってると。
またドイツに荷物が届かなかったり紛失してしまうのか…。
もう十分捨ててきました。
たくさん手放してきました。
それだけは勘弁してください…。

ところで。今、一時的に引越した三途の川辺(=実家)は、

もう全てがトンチンカン。
ボケた婆さんは。
『ドイツ、いつ行くんだっけ?』と5分おきに聞き。
天然ボケの父は。
『あれ?! マユゲはダウン症だったっけか?』
と意味不明発言。
ダウン症って治るもんじゃないんですが…。と思いつつ。
あー。やはり。ここは。
あの世の一歩手前。
あの世への船着き場なんだと再認識している。

私に残された時間。あと10日。
そして。
10日後、私は30代の精神を持ちつつ、
アウトプット(ドイツ語)は3歳児となる…

 

 

ドイツへ引越し #4

**** 電波少年的幕開け? ****

あの世行きが近づくにつれ。
最後の食事とか最後のお茶とかの機会も増え。
なんでも『最後』が冠詞のように付くようになってきた。

しかし。
実は頭の中で色んな人とのお別れというか。
この時期を何度もシュミレーションしていたので。
自分の中では既に何かが終わってしまい。
もう片足を向こうに突っ込んでいるかんじ。

実際の『最後の○○シリーズ』が訪れている現在。
今わの際のジタバタは終わり、
アワアワする周りをよそに妙に凛としている。
そんなわけで。
自分的には結構おだやかな最期を迎えている。
(パッキングしてないのにーっ!)

ま。なんと言いますか。移行としては。
日常 → 危篤 → 臨終 →あの世。でなく。
日常 → あの世。
のように直接移行したいわけです。
つまり。
『コロリと逝きたい』というのが人生最期の目標であるように。
明日、ドアを開けたらドイツ。という移行がしたいのです。
わかるかー。この感じ。
つまり。この『最後の○○シリーズ』儀式が、
どうも危篤から臨終を経験するかんじなのだ。

で。その『あの世への移行』であるが。
 3日後、あの世への扉は以下のように開く。

 

あの世への移行:

ドイツ、ハンブルク空港、22時着。

タクシーが迎えに来ている。
そのタクシーのおっさんにアパートの鍵を渡され。
そのままアウトバーンで1時間ほどタクシーに揺られ
アパートに連れていかれ。

翌朝10時。ドアのベルが鳴る。
アシスタントの姉ちゃんに外人局に連行される。
労働VISAをもらう。

その後、会社に連れていかれるんですかねぇ。

ああ。なんかブルジョア生活のはずが。

電波少年チックだ。

 

そう。なぜか空港でタクシーのおっさんに鍵を渡され幕が開き、
もう連れていかれるがまま。
これって…。電波少年ですかー?

 

 

ドイツへ引越し #5

**** 電波少年的旅立ち ****

あの世へ…。
出発の日がついに来た。
駐在という身分ではないし、
現地企業でも大手じゃなく中小企業。
よって。
会社が出してくれる引越し代は25kgの荷物一箱分のみ。
それ以外の荷物は自分で担いで行かなければならない。
総荷物30キロ。
重たーいバックパックを背負い。
行商の婆さんのように『くの字』になって歩いていたら。
品川で成田エクスプレスに乗り遅れてしまったー。
『…… 』
慌てて東京駅に向かうも、行商のバアさん状態なので。
慌てている気になるだけで前進せず。
その上、なぜか東京駅で迷子になり。
もう荷物は重いわ、ヒートテック2枚重ねにダウンジャケット、
と6枚も重ね着してるので暑くてもうろうとしてたところ。

 通りがかりの駅員に
「お客さま~!こちらでーす!」と連れていかれ。
別のエクスプレスに乗せてもらった。
しかーし。
予定時間、40分オーバー。

成田に着くと電光掲示板が。
『BA 6便、 Go to Gate』と、ピカピカしている。
キャー。まだチェックインしていないのにー。
しかも手荷物オーバーだし…。

機内持ち込み荷物、クリアした。 よし!
『Go to Gate』 ピカピカ~。
キャー。両替が…。
キャー。その前にトイレー。
キャー。両替…。

あー。そのままゲートへ。
ああ。両替が…。搭乗。
私を乗せたヒコーキは。
第一通過地点、ロンドン、ヒースロー空港に向け飛び立った。

このまま。
1ユーロももたぬままドイツに着いてしまうのか。
あーあ。ハンブルグ空港にタクシー、迎えにきてるのに…。
あー。ドイツのタクシー、クレジットカード使えないのだが…。
えー。無銭で到着 !?

でも。一番大切なのは、私が到着することよね。
一文無しでも身体がドイツに行けばなんとか…。
と、気を取り直したあとヒースロー到着まで12時間寝続けた。

 

 

ドイツへ引越し #6(完)

* * * * あの世に到着 * * * *

 

ロンドン経由でやっとドイツ、ハンブルグ空港に到着。
成田出て、16時間以上経っている…。もうヨレヨレ。

(ヒースローで両替ができた)


空港のゲートを出ると。
私の名前を掲げているおばちゃんがいた。
やせ型でピッタリしたジーンズに前髪を盛り上げた80sスタイル。
ジーンズは懐かしのストーンウォッッシュ。
ブルーのアイシャドーにタバコがよく似合う。
ロシアとか東欧によくいがちな(ドイツにも多い)
『永遠の80s』スタイルのおバハン。
ロッド・スチュワート風と言いましょうか。
そう。彼女が、会社が手配したタクシーの運転手だ。
この人が一時滞在用のアパートに連れていってくれることになっている。
オバチャンの方に歩み寄ると。
オバチャンは鍵をチャリチャリっと。
私に振ってみせ、差し出した。
アパートの鍵だ!
さあ。電波少年のスタートだ!
進めー! マユゲ少年!

タクシーに揺られること1時間。
アウトバーンをビュンビュン飛ばしているのにまだ着かない…。
外は真っ暗。電灯もまばらでよく見えない。
なんか地の果てに来ている…。
窓の外を眺めながら。
すごいところに来てしまった…。
と、哀しくなってきたところ。
 1時間半後にやっと着いた。

タクシーを下り、おばちゃんに『さよなら』を言うと。

不安が極地に達した。夜中23時半。誰もいない。
自分がどこにいるかもよくわからない。
アパートのドアを開けようとすると。
開かない…。開かなーい!
ってか開け方がよくわからん!
きゃーっ。とドアと格闘していたら。
ドアが開いた。

すると。
果物やらお菓子がテーブルの上にたんまりとあった。
会社の秘書のお姉ちゃん(皆のお世話係)が、
気を利かせてくれたらしい。
なんだか。ちょこっとだけ気分がよくなった。

しかーし。
あの世は入るとき、景色は眩しく魅力的で。
お花畑があるっていうけれど。
これがきっとそのお花畑にあたるもんだな。
騙されないぞー。

          * * * * * * * *
自分の周りに沢山の人がいた東京。
それはもう果てしなく。
遠いところになってしまった。
誰も知らないところに来てしまった。

もう後戻りはできない…。
25歳ならまだしも。
35歳からの冒険。ハア。
これはキツイ冒険になりそうだ。
進めー。マユゲ少年!

 

 

ドイツへ引越し:あとがき

 

いやー。来てしまいました。ドイツ。引越し直前は沢山の人に会い、喋り、ほんとに今わの際の一絞り、とでもいうべきアッパーな時代を過ごしました。そして。これから徐々ににダウナー期に突入するのですねえ。あー。ロウソクで暮らしたこともありました。布団がなくてヨガマットの上で寝たこともありましたー。ああ。思い出すだけでも泣ける…。笑える。おかしいでしょ。その生活。

さあ。これからいよいよ。本編。会社員になってもなぜかブルジョア生活にならないというトラブル体質、マユゲの摩訶不思議…。

その前に『鍛える生活まめ知識』からどうぞ