ドイツで鍛える生活 7巻

ここまでのいきさつを読んでいない方は前書きから順にどうぞ。

 

 

1. 孤独論 #1

孤独とは。

一人で完成するものではなく。

第三者によって完成されるものである。

そして。

孤独を愛する。とは。

孤独でないという安心感の上に。

始めて成り立つものである。

by マユマユゲ

 

私の一人暮らしも計15年ほどになるが。

独りでごはんが寂しいとか。

作るのが面倒とか思ったこともなく。

ごはんなんてもう毎日の一大イベント。

会社にいても昼も3時をすぎれば。

今日は何を作ろうかなー。と。

帰りのショッピングコースに思いをはせ。

カレーなんて。

スパイスを挽き、調合から始め。

独りでもケーキを焼き。

もー。超旨い!。ルン。という状態。

頭おかしいのかも

そこに。

一人暮らし=孤独。という図式は。

全く存在しなかった。

 

なぜならば。

それは。周りに友人や仲間がいる上で成り立つ、

『独りの時間』であって。

安心感の上に成る『疑似独り』であり。

その『安心』という基盤があることにより。

愛でることができる独りの時間だからだ。

 

一般に言う。

孤独を愛する。とは。

実はこの辺りのことを言うのだと思う。

 

さて。ドイツ。

単身乗り込んだため。

全くプライベートな知り合いがいない。

よって。

休日は独り遊びに興じているのだが

 

ここでは、月曜日に出社すると。

週末はどうだった?と聞かれる。

ま。別に相手は自分の週末に興味があるのではなく。

単に。How are you ?

の月曜日バージョンと言ったところなので。

まあ。goodとか。

社交程度に答えておけばよいものなのだが。

なんかこの質問がドキッとするのである。

これ以上聞くなよ~。と。

ドキドキするのである。

 

つまり。

独りでギター弾いてました。という週末が。

第三者から見て。寂しいーッ!となったら。

その独りは『孤独』になってしまうのだ。

周りに人がいる上で、

独りの週末を選んで過ごしている。のであれば。

それは孤独ではないのであるが。

周りがヤバイ。こいつ、本当に独りだ。

となったとき。

第三者からのお墨付きをもらった『孤独』が完成する。

まあ。1人で完成する孤独なんて大したものではなく。

2人でいるのに孤独。

というほうが本当は孤独度はデカイとは思うが。

まあ。それはまた別種の孤独になるので。

ここでは置いておくが

 

まあ。ともかく。

周りに同情されたとき。

その孤独は本気孤独になってしまうのだ。

 

この辺りの領域を守ることが。

エセ孤独の最後の砦で。

笑える孤独の最期なのだ。

そう。何事も『笑い』を超えてしまったら。

それは間違った域に差し掛かっているということなのだ。

 

そして。明日は月曜日。またやってくる。

How was your weekend?

 

もー。挨拶だと思って気軽に聞きやがってー。

こっちは最後の砦がかかってるんだぞー。

その砦も半分崩れかかっているしー。

バローっ!

 

2. 孤独論 #2

人は悲しみが多いほど~

人には優しくなれるのだか~ら~

by 金八先生

 

ウーン。確かに

しかしこれに反応するとは。

私も壊れたもんだ。

 

さて。月曜日。出社すると

Hi!  How was your weekend?

(出たーこの質問!わたくしの週末ですかー?

うーん。まあまあ。と私。

(何が『まあまあ』じゃ、ボケ~。無言行のくせにーっ)

「いやあ。ホント。変な天気だったねー」

と自ら天気の話に切り替え。

そう。今だに最後の砦を守っているのだが

(意味わかんない人は孤独論 #1参照 )

 

いや。別に。

孤独になることが罪なのではない。

私はどちらかというと。

人たるもの、一度は孤独であれ。

というスローガンを掲げるくらいの。

孤独推進派である。

 

そういや。9年前なんて。

ドイツで3ヶ月近く人と会話をしない生活をした。

寺に入らずに俗界で3ヶ月の無言行。

何でそんな事になったのかというと。

一人でベルリンへお引越しをしてみたのであるが。

これがそもそも奇行)

学校があるわけでも仕事があるわけでもなかった。

トラベラーでもなかった。

つまり。社会のどこにも属さなかったので。

最初の3ヶ月は誰とも知り合う機会がなかったのである。

たまーに自分の声を聞くとびっくりするという有様。

 

あれは確かに孤独という域に入っていた。

しかーし。あまりにも世の中と接点がなく。

社会が自分の手の届くところにないので。

孤独感さえ感じられないのだ。

(頭はおかしくなります)

で。そのなんといいますか。

人にバレれていないという。

最後の砦があったりするのです。

 

よく。苛めにあっている子供が。

親に言わないで隠しているというケースがあるが。

あれも同じで。その子にとって。

親に知られていない。

同情されていないという事が。

守るべき最後の砦なわけです。

 

話が脱線したが。

つまり。別の言い方をすると。

インドへの一人旅というのは。

孤独な一人旅にならないし、なり得ない。

なぜならば。

インド = 一人旅でしょ。

という社会の認知があるからである。

しかーし。

バリバリのリゾート地に一人旅は。

究極に孤独な旅となる。

 

つまり。

見られる孤独 =人の気配がある孤独は。

見られていない孤独 =人の気配がない孤独。

よりも。孤独度は強いのです。

で。第三者の認識にも影響を受ける。

その意味で私は。

孤独とは第三者によって完成される。

という説を唱えているのですねえ。

 

         * * * * * *

孤独を味わうことで。

人は自分に厳しく。

他人に優しくなれる。

いずれにせよ、人格が磨かれる。

by ニーチェ

         * * * * * * 

 

ああ。ニーチェよ。

私。金八先生のサビに反応できるようになりました。

人格は磨かれたかわからんけど。

もう。卒業していいですかー。

 

アホーっ!

自分の意思で卒業できる孤独なんて。

孤独じゃないわいっ。

 

ハイ。すみません。

思い上がりでしたーっ。

 

 

3. 拷問的挨拶

はて。また1週間が過ぎ、月曜日。

毎週。挨拶のごとく聞かれる。

How was  your weekend? 

私の週末はどうだったかってねぇ。

 

これが。また。

一日に何回も聞かれるのだ。

まず。朝、自分のオフィスで軽く聞かれるので。

Oh, it was OK.とか。テキトーに答える。

しかーし。

問題は月曜日恒例のチームランチのお時間。

 

チームランチは5人。

その日のランチ担当がキッチンで食事を作り。

出来上がったら皆をカフェテリアに呼んで。

さあ。ランチを囲んで皆で着席。

誰から食事に手をつけるかで皆、モジモジっとした後。

(西洋人もこういうところはあり、これを毎週儀式のようにやる)

男の同僚が『どうぞお先に』と言う。そして。

レディーファーストで女から順番に自分の皿によそう。

(オモロイくらいどこまでもすんげー、レディーファースト)

で。皆がよそって食べはじめたその瞬間っ。

一人が私に聞くわけです。

 

So..., How was your weekend?

 

でたーっ。またですかー。この質問。

おい。待てやー。これ。単なる挨拶で。

How are you? の月曜日バージョンだろーがーっ。

しかし。皆に囲まれたこの状況。

挨拶程度で逃げられないこの状態。

でも。あまり私生活は話したくない。

(だってお友達いないんだもん)

でも。皆が私の答えを待っている。もー。拷問

(ウッ。ク~ッヤバイ笑顔でごまかせっ!)

 

「いや。まあ Good よ。(ニコッ)」と言うと。

「ふうん。君の週末はいつもGoodなんだね。悪い週末はないんだ」と

 

バカヤローっ。じゃあ、なにかー。

最低だった。とか言えばいいんかーっ。ボケ~っ!

もー。私になんと言えとっ!

と、やるせなさを隠しきれなくなったとき

隣にいた同僚は茹でただけのジャガイモをほおばり。

Oh! Nice!  Very Good!と言った。

続いて。

味付けしていない焼いただけのカチンコチンの肉をほおばり。

再び。Oh~!Very nice !! と。

 

あー。もう。更にやるせない。これが旨いだとーっ?

おーい。

私はその言葉を一度も聞いた事がないぞー。

チームランチ(注1)。毎回。試行錯誤して、

メニューに頭を悩ませてきたが

その言葉、私の担当の時は聞いた事がないっ!

なんだ。結局。受け入れられるのはジャガイモと肉なのか

もう。全身から力が抜けた

なにかがものすごく遠い

(注1: 毎週月曜日はチームランチといって、1人がチーム5人分のランチを作る。皆、肉とジャガイモが好き、ピクルスとか煮込み料理は食べれるが、生野菜が苦手という典型的寒冷地の舌の持ち主)

 

そして。月曜日。

再びやってくるチームランチと。

How was your weekend?

 

ウーム。

挨拶はしましょう。と言うけれど

 

挨拶をしないから、されないからでなく。

挨拶をすること、されることでも。

使いようによっては。

人は。こうも追い込み。

追い込まれるということを知った。

 

あー。もー。苦行だ。

さて。次回はなんて答えようか

 

4. 会話の条件

会社というのは。

無作為に選ばれた人々の集団である。 

会社のためには多少、選ばれたかもしれないけど。

それは。仕事を抜きにし、視点を変えたら。

単に『無作為に選ばれた人々』である。

私的会話なんて当然噛み合ない。 

しかし。そんな人々と。

時にはおしゃべりをしないといけない 

 

           * * * 

さて。再び。

恒例の月曜日のチームランチ。

ボスは。やはり言った。

so... How was the weekend? 

出たーっ。もうお前は月曜日、それしか言えんのかー!

いや。まて。あっ。これは。

会話をしようという彼なりの気遣いかも

 

外人と話す。となると。

語学力が大事と思いがちだけど。

実は。語学力以前に。

当たり前だが話す事がないと話せない。

ここを多くの日本人は忘れている!)

 

会話(いわゆる『おしゃべり』)というものは。 

共有するもの、共感するものがその人とあるか。

というところがポイントとなる。

もちろん、必要によって反論もするが。

結局。『そうだよねー』とか『そうそう!』

と言えるポイントがどこかでないと。

会話というものは成立しない。

『ツボ』が同じでないといけないのだ。

 

しかし。このツボが難しい

日本というのは。 

音楽も欧米のメジャーなポップスだけじゃなく。

イギー・ポップだって聞くぜー。

アンダーグラウンドシーンだって知っているぜー。  

みたいなところがあり。

自分たちは欧米に属している。

という錯覚を起こすことがあるが。 

世界は結構遠かったりする。

 

たとえば。

日本人は日本独自のアニメを見て育つが。

その他諸外国はアメリカ発のディズニーやシンプソンズで育つ。

欧米人(特に英語圏)は。

シンプソンズやサウスパークといったアニメが大好きで。

シンプソンズに出てくるさあ

みたいなおしゃべりをよくする。

シンプソンズなんかがわからないと。

単語を全部理解していようとも会話には入れない。

語学は堪能で海外に移住した人なんかも日本で育った人は。

このへんではつまづいているのではないかと思う。 

実は。日本と世界はかなり距離があるのだ。

 

ここの場合はさらに遠く。

ルーマニアと日本という(注2)

お互いの国のイメージすらないという遠すぎる関係。

(注2ドイツで働いているけどチームメイトはルーマニア人)

そして。

同僚=社会から無作為に選ばれた人々。

ランチ=仕事以外の話をする礼儀。

この条件での会話

 

そう。私たちにはもはや。

地球という同じ時間軸を共有している。

という事くらいしか共通項がないのだ。

ボクに週末があったように君にも週末があったはず。

というわけだ。

 

しかしねえ

毎週、週末をどのように過ごしたか。

というこの発表会状態。なんですか。

あー。もう辛いですねえ。

浅い会話を永遠とするこの辛さ。

 

しかしまあ。共通項が。

地球の時間軸と天気くらいしかないとは。

なんと哀しいことか。

 

お互いのお国事情の質問でもすればよい?

そんなもんは最初の3ヶ月でネタ切れなんだよね。