ドイツで鍛える生活 13巻

ここまでのいきさつを読んでいない方は前書きから順にどうぞ。

 

1. 日本食クッキング会

1ヶ月ほど前。

日本食好きなドイツ人同僚が。

今度。うちに来てうどん作ってよー。と言った。

30代半ばくらいの彼の奥さんも横で。

いいわねー。と言っていた。

 

このことがずーっと気になっていた。

やるならばそれなりの準備をしたい。

しかし。問題は。

本当にやりたいと思って言ったのか。

ということである。

 

つまり。本音と建前である。

本音と建前は日本だけのように思われがちだけれど。

外国にだってある。

建前というか、

その場の雰囲気やノリで、社交で言ったりするのだ。

 

たとえば。

欧米のパーティーなんかでは。

誰かを見つけると。

まず。最初に超ハイテンションで。

Heeeeey !」 と言ってハグするわけです。

それから。ちょっと話したあと。

 「いやー。君にあえて良かったよー。じゃっ!

連絡するからーーーっ」と。

ハイテンションで去るが。

実は。連絡する気はなかったりする。

単なる。挨拶なわけです。

オーストラリアにいたときは。

誰もが皆、にこやかで感じはいいけれど。

まあ。社交だろうな。

って思うことも多々あった。

 

さて。ゲルマンはどうかというと。

おめーらっ。

思った事、すべてを言うのが親切じゃないんだよーっ。

と思うくらい本音を言ったりするが。

(参照: 11巻 2.ドイツの鋼のハート

やっぱり。人にもよる

 

で。今回は。

海外出張も多く、

アメリカ的社交にも慣れている人なので、

余計にわからなかったのだが。

結局。本気だったらしく。

うどんが食べたいとのことで。

急に『うどん、クッキング会』を実行することとなった。

 

うどんクッキングねえ

『茹でて終わり』ではあまり格好がつかない。

ここはもう一品、紹介したい。

いろいろ悩んだあげく。

その家の子供も楽しめるように。

お好み焼きも作ることにした。

 

しかーし。

鰹節と昆布は日本から持ってきたが。

山芋も、干しえびも、お好み焼きソースもない。

結局。その日から毎晩。会社から帰っては。

ドイツの材料で試作をすることとなった。

そして。試作4日目。

よし。もうイケる。

あー。これでやっと。解放されるーっ。

 

    **** そして当日 ****

 

「あ。子供には日本食は無理。食べさせないから」と、奥さん。

いや。お好み焼きは大丈夫だよ。と旦那が言っても。

(注: 旦那は何度も日本に行った事があり、知っている)

「いや。ダメよ。無理よ」と言って聞かず。

子供にはパンとチーズを夜ご飯に与えていた。

あれ~!?お好み焼きも作る意味が。ない。

ウーン。なんか予想外な展開。

 

子供に日本食を与えるのがダメならば。

日本の子供はどうなってしまうのだろうか。と思ったが。

まあ。未知な食事は与えたくないというのが親心であろう。

 

ここは気を取り直して。

鰹節と昆布でダシを取る。

そして。奥さんが顔をしかめる。

ま。この辺りは想定内。

負けないぞー。めげないぞー。

 

そうなのだ。鰹だしというのは。

私たちにはいい香りでも。

魚の文化がないところでは。

ただの『臭いもの』なのである。

そして。魚の文化がない国々では。

原料が魚。というだけで嫌がる人がいる。

彼女もその1人で。

お好み焼きに鰹節をふりかかたとき。

とっても嫌そうな顔をした。

 

そうこうしているうちに。完成。

試作を重ねただけあり、納得の出来。

そして。

奇妙な食べ物をいじるように箸でつっついてみたり。

お好み焼きの上で動く鰹節に、

おっかなびっくりだった奥さんが

 

「お、おいしーいっ!」と言った。

 

ああ。私はこの一言のために、

5日間。全ての余暇を捧げてきたのだ。

やってよかった。感無量。

しかしまあ。

私たち日本人はドイツ人の食事を見ても、

一人前の量の多さ以外は大してびっくりしないんだけど

 

なんだか。

ドイツから見る日本は。

日本から見るドイツより、

とっても遠くにみえるなあ。

と思っていた矢先。

「ねえ。日本ではパンとか食べれるの?」と彼女。

ああ。と、遠い。すべてが遠い

 

ま。ともかく。全てが終わった。

これで来週から、余暇は自分のために使える。と思い。

開放感に浸りながらコートを着、

じゃあ。またねー。と去ろうとしたその時。

その奥さんは言った。

 

「じゃ。こんどはスシやりましょっ! 」

 

ガーン。これは本気だ。

私の週末が。余暇が。またなくなる

 

2. 辞表提出

私は。ドイツの現地の会社に。

日本から応募し、採用され。

(参照: 失業ブルース

どうしよー。ドイツだよー。と。

大騒ぎしつつ、1人でこの地に乗り込んで来た。

(参照:序章2 ドイツへ引越

つまり。

日本から送られているわけではないので。

私には。任期というものがない

 

遡ること4ヶ月ほど前。

この地で生きていくのは無理。と思い。

リューベック脱出計画を立てた。

しかーし。

『あと半年がんばろうよ。

その間に東京で仕事が見つかったら。

辞めればいいじゃーん』と。

ボスに言いくるめられ留まることになった。

(参照: ドイツで鍛える生活 9巻 ←9巻、感動の回だから笑

 

しかーし。

書類的な問題もあり、

あと半年というのは口約束。

つまり。自分から辞めると言わなければ。

ずーっと居られるという。

とっても有り難い状態なのである。

と同時に。それは何を意味するかというと。

自分で『終わり』を決めない限り。

『永遠にここにいる』ことも意味した。

 

そして。ボスが提案してくれた、

ドイツから日本への就職活動は、

なかなかきびしい現実があった。

(つまり。ヘッドハンティングされるくらいの人が海をまたいで就職活動するのは可能だが、ニッポンで派遣レベルの仕事をしていた人がドイツから就職活動しても『じゃあ、面接に来てください』とはならないわけで〜。海なくても、就職あやういレヴェルだし…

 

と。前置きと言い訳が長くなったが、

まあ。色々。思うところもあり。

実は。ずーっと。撤退の時期を伺っていた。

 

しかーし。撤退

この見知らぬ土地で。

どうやってマットレスやら洗濯機を処分して。

どうやって家をまっさらにするのか。

布団もマットレスも処分したら住めないし

ウー。めんどくさい。

 

引越業者ねぇ

友人はインターネット工事の人に2回もすっぽかされ。

別の友人は。

不動産屋が忘れて約束の日に現れなかったりと。

まあ。ここでは日本では起こりえない事が起こる。

荷物を取りに来てくれる業者が来なかったら。

ヒコーキ、乗れないだろーがーっ!

ウーム

 

そして。ドイツのアパートの解約は。

月末から数えて3ヶ月前に言わないといけない。

しかし。後釜を自分で見つければ、

この規約は免除される。

とか。まあいろいろある。

 

ともかく。撤収は。

ドイツ参戦時より難関が多い。と。

ずーっと思っていたのだ。

(ドイツ参戦時:参照:2巻 5.引越し完了)

 

 

しかーし。そこへ。ふと。

単身。日本からリューベックへ、

身一つで参戦しに来た人が現れた。

女医さんで医学の研究で来たという。

彼女はうちに来て。

「この家。いいわー」と言ってくれた。

彼女は家具を持っていないし家を探している。

 

私は。なんだか不意に来たこの波に。

どうしても乗りたかった。

頑張ればまだ居られる。でも

力尽きる前に、余力がある状態で。

日本に戻りたかった。

なんだかこれが。

今まで奮闘してきたご褒美のようにさえ思えた。

よしっ! 私はこの波に乗るっ!

 

「えっ。ここに住む?全部あげるよ」

 

というわけで。なんと。

私の撤退日が決まってしまったー。

あとは。会社。

時期的には、わりと落ち着いているから。

タイミングはよいはずだ。

 

そして。ボスに言った。

「辞める」と。

彼は残念がってくれたが。

以前に撤退騒ぎを起こしたこともあり、

もう納得したようだった。

「じゃあ。手続きは来週に」と言って。

私のオフィスから去っていった。

よし。波には乗った。

 

    **** そして。翌週 ****

待てど暮らせど。

辞表を出せともなーんとも言われない。

あれ~!? 今月が終わってしまう。

ここでは、辞める時は。常に月末。

そして。1ヶ月前に言わないといけない。

つまり。

翌月に一歩でも入ってしまったら。

辞めるのは翌々月の月末になってしまう。

それはまずい。家がなくなる

 

週も半ばに差し掛かったので。

秘書のおねえちゃんに聞きにいくと。

「えー。そうなのー。聞いてなーい。辞表、要るよ」と。

あー。そうか。

やっぱり。ここでは。

待っているだけではいけないのだ!

 

はて。

英語で辞表ってどう書くんだろうか?

xx日を持って、leave xxx companyとか

でも。ここは。せっかくなので(なにがじゃ!)

カッコよく書きたい。

じゃあ。辞職というと『resignation』か

でも。辞書で調べると『辞任』とも書いてある。

えー。辞任って。大臣みたーい。

私。平社員だし、そんなにエラくなーい。

と悩みつつ、なんとなく完成。

 

見ようみまねで書いた辞表
見ようみまねで書いた辞表

提出。そして受理のサインももらった。

ふう。あやうく。会社は行かねばならぬのに。

家がなーい。

という事態になるところであった

 

というわけで。

あっけなく撤収決定。

私の残された時間。あと1ヶ月。

リューベック生活も。

急に巻きが入って参りましたー。

 

さーてと。

これから。また勝負どころだ。

電気、電話、口座などの解約。

最後の月の電気代などの引き落としをどうするか。とか。

手続きのオンパレード。

アプトプット2歳児(ドイツ語ね)。

最後までなんとかやり遂げるぞー。

 

しかーし。

私が『波』だと思ったものは

実は私の人生のトラップだったりして~。

ヒョ~。おそろしい~。

日本で何が始まり。

何が待っているのだろうか