あとがき

ここまでのいきさつを読んでいない方は前書きから順にどうぞ。

18巻まで書いてしまったので長い道のりになりますが…笑。

 

           *   *   *

いやあ。ドイツで鍛える生活。

今読み返してもどれも思い入れがあり、

いつ読んでも我ながら泣け、笑える(←バカ)。

一体、何していたんでしょうねえ。わたくし…。

 

周りに沢山の人がいた東京から、

ポツンと、ドイツの片田舎でひとりの世界へ。

べつに。会社の人と遊べばいいじゃん。って?

あのねー。土日に会社の人と遊んだら。

休んだ気がせんでしょうがーーっ!

また月曜から毎日会うのよーーーっ。

 

あまりの快楽のなさに脳が食による快楽を求め、

最初の2ヶ月で5kg太った。最終的には8kg太った。

(これは日本に帰国してから完全に戻った)

パンに塗るつもりで買ったジャムもビンごとプリンのように食べ。

意識があるときは制御できたかと思っても。

ひどいときには睡眠時ににムックリ起きて。

寝ぼけながらジャムやチョコレートを食った。

本当に。脳がなんでもいいから快楽を求め、

砂糖という麻薬と満腹中枢を駆使し、

脳が精神状態をキープしていたと今は分析する。

で、そんなジャンキー状態でガンガンキーボードを打って生まれたのが

『ドイツで鍛える生活』だったのです。

 

しかーし。皮肉なことに。

精神状態が悪くなればなるほど。

ジャムがガンガン空になればなるほど。

出来上がる文章はどんどん面白くなっていった。

泣きながら書いた文章は、笑い転げるくらい面白いものに…。

ま。クリエイションというものは。

きっと。そういうものなのだろう。

満たされていないから創作できるわけで…

(作り話という意味じゃないですよ笑。念のため)

 

精神崩壊も間近なかんじになったとき。

あ~。もう私はこの辺りが限界かな。というわけで撤退したが。

もっと居たらもっとすごいものが書けたのか。

はたまた本当に壊れた人間になり、

あっちの世界へ行ってしまっていたのだろうか?

それとも、ある一線を超えたら。

一転、楽しくやっていたのだろうか。

オノ・ヨーコは

『好きになるまでその国を離れるな。好きになるまでいろ』と、

解いたという…。確かにそれは正論ではある。

すまん、オノ・ヨーコ。

 

ま。ともかく。成功どころか大失敗の私のドイツ生活。

しかし。この『鍛える生活』が。

私の価値観を大いに変えたことは否めない。

この修行生活(?)の前はどこかで盲目的に、

欧米は暮らしやすく、日本は暮らしにくい。って思っていて。

どこかで国のせいにしていた。

楽しく暮らせる人はどこでもできる。

場所ではないんだよね。

 

価値観は経験と共に変わる。

絶対…、と思っていたことも変わる。

今までの自分の『絶対こうだ』を崩すために人生はある。

極論を恐れずに言えば、価値観は崩すためにあり、

崩れたとき、そこに人の進歩があるわけです。

 

ってわけで。若者よ(ま。若者じゃなくてもよいですが笑)

行け~、海外へ。価値観を崩されてくるがよい。

世界は広いのだよ。

 

あ。でも。精神が崩壊しそうになったら引き下がりましょう。

(どん底まで行ってしまった日本人を昔、ベルリンで何人か見て来た…)

ま。こんなへんな海外サラリーマン生活する人、

あんまりいないとは思うが…

しかし、あの毎週のチームランチはなんだったんでしょうえねぇ…。

(参照:15巻:2.最期のチームランチ

 

やっぱり。これは『行(ギョウ)』であった…。

 

マユマユゲ

 

p.s. 次回は、ドイツに負けて帰ってきたマユゲは帰国後どうなったか?のおまけのストーリーを。『事実は小説より奇なり』な不思議な結末を迎えます…。つづき『迷走記